多趣味な男の適当生活

飼い猫と運動をメインにしたブログです。・・とラーメン。

当初はバイク旅をメインにしたブログにする予定だったのですが、

最近では、日々のジョギング、自転車、更には釣り、各メンテナンスの記事も・・。ブログ内にラーメンが多発します。(飯テロ注意)

そして、猫もいます。


ちょっと多趣味な管理人です。

浩太郎君

これは以前飼っていた猫の話です。


その子は今から20年程前、バイト仲間で行った海水浴の時に


海で拾ってきました。


凄く人懐っこい子で、誰にでも愛想を振りまいていて、自分にも擦り寄って来ていました。


多分、生後2か月位・・。まだ手の平サイズでした。


もう可愛くて、放っておけなくて、海水浴そっちのけで自分だけ猫と一緒に


家に帰りました。


当時、実家住まいだったのですが、猫は飼ってはいたものの、もう飼わないという


雰囲気になっていて・・、子猫を連れて帰ると、凄く怒られました。


でも、自分がバイト代(当時学生でした)で世話するから金銭的な迷惑は掛けない


し、餌やりやトイレの掃除もすべてやる、という条件で飼っていい事になりました。


猫の名前は、今まで○○太郎と名付けていたので、


今回は浩太郎と名付けました。今考えてみたらサバトラでしたねその子は。


それからしばらく、自分の部屋で飼う事になります。


朝餌をあげて、昼だけ親にお願いして、バイトから帰って来たらまたご飯をあげて・・。


ホントに手塩にかけて育てました。・・と言っても子猫の間は殆ど寝ていたので


全く手が掛かりませんでしたけどねw


でも、人懐っこいので、ある日帰るとすっかり両親にも懐いていて、


母に抱かれていました。


こうなったらこっちのもので、餌は自分が不在の間は母があげてくれました。



1歳を超えて来ると、外に興味を持った様で、うちは車の通りも一日通しても


ほぼ無い様な所というのも有って、外に出すようになりました。


夜中、部屋の網戸に外からよじ登って「帰って来たぞー!!」って鳴いて


良く起こされましたw


自分が就職して、忙しくて、夜中の12時位に帰ってきても、鈴を鳴らしながら迎えに来


てくれて家まで走って競争したりもしましたw



外に出はじめてからは良く他の野良猫と喧嘩もしていて、大けがして帰って来る事もありました。


・・でも8年目を迎えたある日・・。


浩太郎君の様子が変でした・・。よだれを垂れていて、ぐったりした様子・・。


動物病院に連れて行くと、猫エイズと診断されました。


その頃猫の知識が無かった自分は去勢する意味が解っておらず、


浩太郎君に去勢手術をさせていませんでした。


その結果、手遅れになってしまったんです・・。


猫エイズになってしまったら、もう後はなるべく苦しまない様に


決まった期間で注射を打ったり、白血病が併発している為、尿道結石に


なりやすく、決まった餌しか食べさせることが出来ません・・。


猫エイズと診断されてから、何回動物病院に浩太郎君を注射を打ちに連れて行ったり、


餌だけ買いに行ったりしたか解りません・・。


餌なんか、高くて、5kgで一袋5000円位しましたし・・。でも直ぐなくなってました。食欲だけは有ったんですよね・・。


浩太郎君が日に日に弱っていって、でも注射打たなくちゃいけなくて・・。


動物病院の先生に「なんでこんなに苦しまないといけないんですか!治せないんですか!!」って本気でブチ切れた時も有りました。


でも、先生も察してくれて、頷くだけでした。


最後の日・・。浩太郎君は玄関の土間でぐったりしていて、


もう動けませんでした。


ここ数日餌も食べれなくなっていたんです・・。流動食も受け付けませんでした。


昼過ぎ、自分は急に眠気に誘われて、起きたくても起きれませんでした。


浩太郎君は、動けない筈の体で、最後の力を振り絞って


土間の段を飛び越え、座敷の両親の目の前でニャーと鳴いてそのまま


息絶えて死んだそうです・・。


きっと自分には死ぬ姿を見て欲しく無くて、不思議な力が働いたのかもしれません。


両親は自分が寝ている間に浩太郎君を庭に埋めました。


自分は余りのショックで仕事が手に付かず、社内でのいざこざも有って


転職をして県外に出ました。


それから10年以上経って、実家に戻ってきて


突如景虎君が現れます。自分は多分、浩太郎君が神様にお願いして、


記憶は消されて、姿も違う猫になったけれども、


またこの家で猫として生きる事を選択してくれたんじゃないかな?と思います。


・・まあ勝手な妄想ですけどねw













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